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原発事故をきっかけに自分を考えてみる。

 前回の更新が2011年2月だったんだけども、あれから4ヶ月近く経ちましたね。地震、原発と大きなことが起こったせいか、ただ単に怠惰なせいか、下書きをしては消すということが数回ありまして、今回再書き込みしている管理人です。

 原発。未だに頭の中で整理がつきません。毎日、ブロガーやジャーナリスト、専門家と云われる人が原発について多くを語っていて情報が洪水のごとく流れ込んできます。ともすればその洪水に飲み込まれ、自分も流されてしまいそうです。

 そもそも管理人、これまで原発についてはあまり関心もなく過ごしてきて、日本に何基作られているのかすら知りませんでした。もちろん、チェルノブイリは知っているので「原発って、一旦事故ったら、あぶねーなぁ」とか「放射性廃棄物はどうするんだろう・・」という意識はありました。なので漠然と「原発はこれ以上作らない方がいいんじゃないか」と思い続けていたんですが、それを表明することはありませんでした。
表に出さない理由を思いつくままに挙げてみると・・、
・自分自身、原発問題に強い関心がなかった。
・周りにそのような問題に興味を示す人が(たぶん)いなかった。
・変なレッテルを貼られるのが嫌だ。(考えすぎ?)
・自然エネルギーなどの次世代発電技術が発展するまでとりあえず原発でつなぐものしょうがないのかなぁ、と思っていた。
こんなとこでしょうか。

 3.11、事故は現実になりました。原発が爆発するところをテレビで観て「あぁっ」という思いと共に、こんなことが自分が生きている時代に起こるのか・・、という何とも言えない気持ちになりました。この時点でも管理人、原発の構造やどんな放射性物質が存在するのか分かりませんでした。テレビでは枝野さんの「直ちに健康に影響を及ぼすものではない」という言葉が響いていました。

 爆発したそのとき、自分の取った行動は・・・、何もありませんでした。原発から遠く離れているところに住んでいるということもあるでしょうが、直接自分の身に降りかかってくるものでもないので、「まずいなぁ」という思いはありましたが、それで生活を変えたり、生き方を変えたりということはなく、淡々と日常を送っていました。今もそうです。ただ、爆発後には放射性物質の拡散が予想されるので、実家の家族や友人には風向きに注意して、もし東寄りの風に変わったら念のためマスクをするとか、外出を控えるとかした方がいいと伝えておりました。

 日ごとに悪化する原発の状況に危機感を募らせながらも、見えてきたのは結局は何も行動しない、できない自分でした。これが本当の「俺」なのかと。被災地や原発周辺でボランティアをしている人たちの映像を横目に見ながら、メシを食い、酒を呑む。情けない思いで一杯になりました。昔、大気環境に関する仕事に関わっていただけに、その思いは一層強いんです。では、なぜ行動しない(できない)のかな、ということになるわけですが、
・仕事を休むわけにいかない
・当事者意識がない
・放射能を浴びるのが怖い
・現地に親類や友人がいない
・情熱がない
というのが正直なところです。他にもあるかも知れませんが・・。

 東日本大地震、東電福島原発事故は大きな歴史的事実として語り継がれてゆくでしょう。最近よく思うことに、今回のような大きな自然災害、それによって引き起こされる人災、そして戦争に当事者として直面したとき、いったい自分はどういう行動を取るのだろうかということです。例えば戦争。もちろん嫌です。殺すか殺されるかしか選択肢のない場所に送られ、極限状態が続く日々。肉体も精神ももたないでしょう。昔は戦争になったら懲役を拒否して逃げる、などと思っていましたが、今回の原発事故で明らかになった自分を見て、おそらく戦争になったら嫌だと思いながらも参戦するんだろうなと。それは国のためとか言うのではなく、行かないと自分や家族に対して嫌がらせをされたり、社会的に不利益を被ったりする恐れがあり、それが管理人には耐えられないからです。

 そんなことから管理人には、土壇場や修羅場、生死がかかった場面では自分の信念を貫く勇気がないんだろうなぁ、と思わせる原発事故でありました。

そんなことを思いつつ、こんな曲を聴いていました(笑)

「人間のクズ」忌野清志郎
http://www.youtube.com/watch?v=dX0M1hCS2QU


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